2023年に思考を深めるための材料

近藤誠司

橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対論、『おどろきのウクライナ』を

拝読しました。どのチャプターも、歴史に深く根差した考察がなされていて

とても勉強になります。どの論点に対する主張にも、説得力がある。

それらをすべて受容したうえで、しかしここでは2点、別の視点を追加して

考察を深めるための材料としておきましょう。

(1)権威主義かエリート主義か

中国やロシアを権威主義的国家とカテゴライズするとしても

グローバルな社会やローカルな社会をみたときに、

エリーティズム、ないしは、カリスマ待望の構えが

予想以上に進行・浸透している点も重要であろうと思います。

多くの若者は、コスパのフィーリングから結論を急ぎ、

「勝っている人は、勝っているがゆえに、たぶん正しい(ことにしておきたい)」という

まさに、中華思想の天命を受容するかのような構えを

ミニマイズして把持しているように見えます。

YouTubeやTikTokに流れて来る「勝ち組」のオピニオンに

やすやすと乗っかった方が、ラクでトク。

自由と平等、民主主義の基盤は、すでに日常から切り崩されています。

(2)環境問題による破局のビジョン

『おどろきのウクライナ』の最終盤では、環境問題によるカタストロフに関する

人類の「持ち時間のなさ」が指摘されています。

この指摘をふまえるならば、かえって権威主義的な国家のほうが

事態を独裁的にコントロールして、環境政策を徹底できる可能性がある

と言うこともできそうです。

逆に言うと、民主主義的にふるまえばふるまうほど、

討議しているコストが時間を費消させて、どんどん破局を引き寄せてしまう。

ミヒャエル・エンデの『遺産相続ゲーム』が具現化するのです。

中国からすれば、そして多くの国や社会のラウドスピーカーからすれば

グローバル社会の「持ち時間のなさ」は、

かえってアドバンテージになりえることでしょう。

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