橋爪大三郎さんと大澤真幸さんの対論、『おどろきのウクライナ』を
拝読しました。どのチャプターも、歴史に深く根差した考察がなされていて
とても勉強になります。どの論点に対する主張にも、説得力がある。
それらをすべて受容したうえで、しかしここでは2点、別の視点を追加して
考察を深めるための材料としておきましょう。
(1)権威主義かエリート主義か
中国やロシアを権威主義的国家とカテゴライズするとしても
グローバルな社会やローカルな社会をみたときに、
エリーティズム、ないしは、カリスマ待望の構えが
予想以上に進行・浸透している点も重要であろうと思います。
多くの若者は、コスパのフィーリングから結論を急ぎ、
「勝っている人は、勝っているがゆえに、たぶん正しい(ことにしておきたい)」という
まさに、中華思想の天命を受容するかのような構えを
ミニマイズして把持しているように見えます。
YouTubeやTikTokに流れて来る「勝ち組」のオピニオンに
やすやすと乗っかった方が、ラクでトク。
自由と平等、民主主義の基盤は、すでに日常から切り崩されています。
(2)環境問題による破局のビジョン
『おどろきのウクライナ』の最終盤では、環境問題によるカタストロフに関する
人類の「持ち時間のなさ」が指摘されています。
この指摘をふまえるならば、かえって権威主義的な国家のほうが
事態を独裁的にコントロールして、環境政策を徹底できる可能性がある
と言うこともできそうです。
逆に言うと、民主主義的にふるまえばふるまうほど、
討議しているコストが時間を費消させて、どんどん破局を引き寄せてしまう。
ミヒャエル・エンデの『遺産相続ゲーム』が具現化するのです。
中国からすれば、そして多くの国や社会のラウドスピーカーからすれば
グローバル社会の「持ち時間のなさ」は、
かえってアドバンテージになりえることでしょう。