雲仙普賢岳 定点にて

近藤誠司

将来の雲仙普賢岳の溶岩ドーム崩壊にそなえて

避難アナウンスコメントの検討をしています。


この日は、1991年当時、大勢のメディアが足を運び、

関係者が命を落とす現場となった「定点」に立ちました。


この写真には、雲仙普賢岳が、霧雨によって「見えていません」。

こうした場合、異変を視認することが難しくなります。

振動や轟音がするとはいえ、メディアなどによる情報周知も命綱になることを痛感しました。

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