『苦海浄土 わが水俣病』

本と出合う

石牟礼道子(講談社, 2004)

いまから、30年ほどまえに、

原田正純先生の「水俣病」(岩波新書)を読んで

「専門家」とは何かを考えるようになりました。

大学時代に水俣を訪問し、天草諸島なども視察し、

この公害事件の罪深さを痛感したのでした。

石牟礼道子先生の「苦海浄土」は、そのときに通読したはずでしたが、

いま読み返してみると、筆の進め方に、丸ごと心を奪われるばかりです。

「憑依」と言ったらよいでしょうか。

本著にときおり挿入されている行政文書やら専門家の所見やら

乾いた文章の魂の不在に、

ただただ唖然とするほかありません。

そして、この「憑依」というアプローチに関しては

渡辺京二さんの解説を読んだとき、ふたたび驚くことになるのでした。

2020年代を生き、デジタル空間に文字を送るばかりのわたしには

ことばの深みを取りもどすことができずにいます。

魂の不在。

あらためて波頭を見つめる時間を持ちたいと思います。

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